スペイン語とスペイン語圏文化の魅力

スペイン語とスペイン語圏文化の魅力

  スペイン語は、スペインやラテンアメリカの20か国で公用語となっていて、母語話者の人口は4億人をはるかに超えています。これらの国々では、教育を受ける機会に恵まれなかった人々も含めて、ほとんどの住民が、公的な場だけでなく家庭でも、スペイン語を話しているので、スペイン語を学べば、広大で多様な地域の様々な階層の人々と深いコミュニケーションができます。

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スペイン語を公用語とする国(紺色)と、スペイン語話者の住む地域(青や水色など)

  ただし、そうなったのは、スペイン語を話すカスティーリャ人が、アラビア語を話す人々をイベリア半島から追い出し、他のキリスト教徒の言語を公的な場面や文書から締め出すだけで飽き足らず、アメリカ大陸で先住民に徹底的にスペイン語を叩き込んで、彼らの本来の言語を衰退させ、無数の精緻で美しく貴重な言語を絶滅に追いやった結果です。カリブ海域に無理やり連れてこられて奴隷として酷使されたばかりか言語まで奪われたアフリカ系の人々のことも忘れてはなりません。とはいえ、こうしてスペイン語話者に抑圧されてその文化に飲み込まれてしまったはずの人々の文化は、彼らの怨嗟の声や生き延びるための懸命の足掻きや鋭い狡智や強靭で柔軟な精神は、「スペイン語圏」の文化に明らかな刻印を残し、スペイン文化や他の文化と混じりあいながら、「スペイン語圏」文化を複雑で多様で豊かで陰影に富むものにしていることも事実です。

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  アメリカ先住民言語の中でも、相対的な孤立の中で話者が多く残ったグアラニー語や、かつて高度な文明を築いた人々が話すケチュア語、アイマラ語、マヤ語、ナワトル語、そしてイベリア半島のカタルーニャ語、バスク語、ガリシア語などが、近年は公用語やそれに準ずるものとして認められて復権してきていますが、そうした言語は、スペイン語を足掛かりにして勉強するのが容易な方法であることは確かです。こうした言語が話されている地域の第一公用語がスペイン語ですので、スペイン語で書かれた教科書・文法書・辞書は充実しています。

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  ヨーロッパの他のロマンス語系の言語を学ぶにしても、スペイン語を足掛かりにすると、ある意味便利です。これらの言語は、発音に関してはそれぞれ固有の難しさを持っているものが多いのに対し、文法構造はおおむね共通です。その中でスペイン語は、発音が日本語母語話者にとって極めて易しい――海外旅行会話集に出てくるようなカタカナ表記を読み上げても、スペイン語だったら、アクセントの位置さえ間違えなければ通じます――ので、発音の習得に煩わされることなく文法の習得に専念することができます。スペイン語文法が理解できたら、他のロマンス語系諸語の文法は容易に理解できます。

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  スペイン語圏には、明るくあけっぴろげで楽天的で友好的な、いわゆる「ラテン系」の人が比較的多いというのも事実です。ですので、そんな人たちとたくさん友達になりたいからスペイン語を学ぶというのは正解です。ただ、根暗な人がスペイン語を学んでスペイン語圏で長く暮らしたら誰でも明るい性格になるかというと、それは、そうなることもあれば、ならないこともあります。スペイン語を学んだからといって、べつに無理して「ラテン系」の性格になってもらう必要はありませんし、「ラテン系」の性格にならなくても、スペイン語圏に関わってそれを飯のタネにすることは不可能ではありません。

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  日本人を「ラテン化」するのは簡単です。中南米諸国でしょっちゅう起こっているようなハイパーインフレを日本で起こしたら、誰でも貯金をするのがばからしくなり、明日のことは考えなくなり、稼いだお金を片っ端から飲めや歌えやのドンチャン騒ぎに使うようになって、嫌でも「ラテン化」するでしょう。もともと、「宵越しの銭は持たねえ」という文化が、日本にはあるのですから。そんな生き方と、明治以降の日本で推奨されてきた、将来の自分や子孫の幸福のために現在の自分の快楽を常に犠牲にするような生き方と、果たしてどちらが幸福な人生と言えるのかは、いろいろな考え方がありえます。ただ、いわゆる「ラテン系」のイメージは、いくら努力してもその成果を積み上げることができない――積み上げた端から崩れてしまう――という状況の悲惨さにはあえて目を向けず、そうした状況で精神的均衡を保つための「楽天的」態度にのみ半ば意図的に目を向けようとする欧米「主要国」および日本の人々が勝手に生み出した幻想に彩られています。それに「ラテン系」の国々の人々がみんな生まれつき社交的であるはずはありません。社交的な人が多いのは、社交的であることが、非公式のセーフティネットを確保して生き延びるために必要不可欠の資質だからというだけなのかもしれません。

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  スペイン語話者は、人数が多さでは世界で4~5位を争いますが、外国語センターで教えられている言語の話者の中では、いちばん貧乏かもしれません。各言語を公用語としている国や地域のGDPを足して人口で割ったら、スペイン語圏は最下位を争うだろうと思います。極端な金満国家も、成長著しい国も無いからです。「だからこそ、これから経済が伸びるはずだから、だれも興味を示さない今のうちに関わっておけば、将来大儲けができる」という逆張りの発想で、これからスペイン語圏諸国と関わっていくことを志す人が出てくるのも面白いですし、「だからこそ、今困っている人たちと連帯したい、助けたい」と思う人が出てくるのはまことに喜ばしいことです。が、そのどちらにも当てはまらない人にとっても、スペイン語を学び、スペイン語圏文化に触れることは、全く意味が無いというわけでもありません。いろんな意味がありえますが、そうした意味の一つとして、日本人の大多数がイメージする「欧米」とはまったく異なっているにもかかわらず、まぎれもなく「欧米」であるような世界を知ってもらう、ということが挙げられます。

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  例えば、現在、欧米の国々のほとんどが、アメリカ合衆国一極体制の国際秩序とグローバル資本主義を基本的に受け入れているのに対し、中南米では、そのどちらにも真っ向から対抗しようとする政権がいくつもあります。こうした政権やそれを支持する人々のことを知ろうとする際に、英語文献を読んで英語を駆使する現地人や外国人の話を聞くだけだと、著者やインフォーマントが反米左翼政権を苦々しく思う人であることが多いので、バイアスがかります。そうした政権がダメな政権であることを、英語圏の大学の政治学や経済学の主流の理論を使って確認して満足したいということならば、それでもよいでしょうが、もっと客観的に深く知りたいならば、スペイン語を駆使して、政権やそれを支持する大衆の声も聴く必要があります。

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  「欧米」の言語の多くは、複雑に口と舌を動かす母音や、多数の子音の連続があって、その発音は日本人には難行苦行ですが、スペイン語の母音はアイウエオしかありませんし、連続した子音の発音はスペイン語話者も苦手です。ですので、スペイン語圏の人が、スペイン語を話す日本人の発音を難ずることはあまりありません。明治以降現在に至るまで、日本の知識人は非常にしばしば、日本人が「欧米」人と異なっているところを、「劣っている」ものとして非難してきましたが、スペイン語圏の人は、「欧米」人よりもむしろ日本人に近かったり、日本人以上に「欧米」人と異なる側面があったりします。スペイン語圏の知識人は、大衆のそうした姿に悲憤慷慨したり、自分たちは「欧米」ではないのだと開き直ったり、自分たちこそが真の欧米文化を体現しているのだと主張したりします。そういったところが、スペイン語とスペイン語文化圏の最大の魅力かもしれません。

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  結局のところ、スペイン語圏は、ここ百数十年間の日本人がそこから「脱」出しようとしてきた「亜」細亜でもなければ、そこに仲間「入」りしようとしてきた「欧」米列強でもなく、同盟しようとした大アジアでもなければ、資源確保先として特に重要視してきたわけでもないので、スペイン語圏と付き合うことは、日本人にとっては、ある意味、気が楽なのだとも言えます。とはいえ、スペイン語の文法は、極めて論理的ではありますが非常に複雑なので、完璧に習得するのは楽なことではありません。ややこしい語尾変化をまちがうと、試験で減点され、GPAが低下する恐れがあります。しかし、GPAもGNPも気にしなければ、スペイン語圏に長く在住する日本の方々の中には、語尾変化を一切付けない名詞と動詞を、思いつくままの順序で、表情豊かに目を剥いて、踊るような大きな身振りをつけながら、大声で明瞭に発声していくことで、現地の人々の間で人気者になっている方もいらっしゃいますので、それもまたよいのではないでしょうか。

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スペイン語の学習方法 

  ここでは、日本の中学・高校で6年間英語を学んできて、他の言語をあまり学んだことのない日本人学生が、スペイン語を学び始める際に、一般に注意したほうがよいことを書きます。それは、単語(特に動詞・名詞・形容詞)の語尾の細かな変化の規則をしっかり覚えて、文を解釈したり作文をしたりするときは、語尾変化に細心の注意を払ってほしいということです(会話の際は、細かいことは気にせずに、とにかく話してみて、通じなかったら言い直す、というふうにしたほうがよいと思いますが)。

  ヨーロッパの言語では一般に、文中での各々の単語の文法上の役割や他の単語との関係を、主に語尾変化で表します。しかし英語は、ヨーロッパの言語の中では特異で、語尾変化が退化していて、その代わりに、語順がきっちり決まっていて、文中での単語の位置によって、その単語の役割や他の単語との関係を表すことが多くなっています。そのため、英語的な考え方にある程度慣れた人は、スペイン語文を読む際に、単語の大まかな意味だけを調べて、語尾には着目せず、単語や単語グループの役割を、文中の位置によって判断し、文頭の単語や単語グループを常に(前置詞で始まっていたり明らかに副詞だとわかったりしない限り)主語だと思ってしまう人が、比較的多いようです。

  スペイン語では、語尾変化が非常に発達していて、語尾の形(と先行する前置詞に)よってその単語の文法上の役割がほぼ定まってしまうので、その代わりに、語順はかなり自由になります。SVOM型の平叙文は、MVSOやMVOSにしても構いませんし、少しニュアンスは違ってきますが、OVSMの語順もありえます*。そのため、文の構造は、それぞれの単語の文中の位置ではなく、語尾の形で判断する必要があります。

例えば、次のような文を見てください。

Los domingos la señora Fernández pasea por el parque.

  この文の冒頭に、定冠詞がついていて一見名詞句のように見える Los domingos があるので、これが主語のように見えるかもしれません。しかし、この文の動詞はpaseaで、pasearの3人称単数形です。従って、主語は、複数形の名詞句(のように見える)Los domingos ではなく、単数形の名詞句 la señora Fernández であるということになります。Los domingos は、前置詞が無いにもかかわらず、実は副詞句です。文全体の意味は「毎週日曜日にフェルナンデス夫人は公園を散歩する」という意味になります。

  この文の場合は、「スペイン語では曜日や日付を表す副詞句は前置詞を伴わないことが多い」ということを知っていれば、Los domingosを名詞句だと見誤ることを避けられるかもしれません。しかし、もっと複雑な文になれば、動詞だけで判断しないといけないケースも出てきます。

  このほか、形容詞がどの名詞にかかるのかということも、語順ではなく、文法上の性と数(および単数形/複数形の別)の一致によって判断する必要も出てきます。

  日本語も、単語の文法上の役割や他の単語との関係を、活用(=語尾変化)と後続の助詞(いわば後置詞)によって決めているがゆえに、語順がある程度自由になる言語なので、スペイン語は、その意味では、英語よりも日本語に近いと言えるかもしれません。語句の文中での位置を、その語句の文法上の役割よりもむしろ、語句がもたらす情報の価値や、単なる長さで決める(短い語句は動詞に近い位置に、長い語句は離れた位置に)と、ネイティブスピーカーにとっては心地よく感じられるといったところも、スペイン語は日本語に似ていると言えるかもしれません。

  もちろん、スペイン語は英語と同じ印欧語族に属するのに対して、日本語はまったく系統の違う言語なので、スペイン語と英語の類似点や共通点は、語彙の面でも文法の面でも極めて多いのに対して、スペイン語と日本との類似点は皆無に等しく、あるように見えてもそれは偶発的なものです。大学での2年間のスペイン語学習で、中学・高校の6年間かけて到達した英語のレベルと同等のレベルにまで到達してもらうためには、英語の知識をできるだけ利用してもらう必要があるのは言うまでもありません。しかし他方で、スペイン語と英語との違いをしっかり見極めてもらうことも必要です。

 

 

*細かな約束事がありますので、初学者が作文するときは、真似をしないほうがよいです。また、語順が自由になると言っても、一つの名詞句<冠詞+名詞+形容詞から成る単語グループ>の中の語順は自由になりませんし、一つの名詞句の中に動詞を割り込ませるようなこともできません。